カテゴリ: 親父

2年ちょい前に親父が死んだんだが、ほぼ同時期に婆ちゃん
宮崎市内の老人介護ホームに入居して(させらて)いた。
その後、コロナなどもあり面会は出来ずだったが最近は緩和され
母親はちょくちょく会いに行ってる。

3連休という事もあり、そろそろ俺も1回ぐらい顔を見せに行けと
母親に急かされるも気が乗らない。
というのも車で往復2時間半くらい掛かり遠いのだ。
結局粘り負けされ2年数ヶ月ぶりに婆ちゃんに会ってきた。

婆ちゃんは今年93歳。当たり前だがこの2年数ヶ月でさらにヨボっていた。
自力で風呂やトイレは行けず、食事も介護士の手を借りないとままらない様子。
それでも元々婆ちゃんがホームに入居した理由は、親父の体調が悪くなり両方看護するには
手に余るというのが一番の理由だ。
なので親父が死んだ今、婆ちゃんはどちらかといえば家に帰りたいようだったが
それを母親は好ましく思ってない様子ではある。
上記のような状態なので、家に戻っても何から何まで世話しないとならず
仕事も辞める事になると。
一方ホームは病院型で介護士の他、医者や看護師も駐在してるらしく安全安心で
また、資金面でも婆ちゃんの年金(月15万)でギリまかないきれる額であるため
そっちでもう・・・みたいな感じになってるんだな。

人生とは兎角厄介である

今日はこの前取り出した遺骨の納骨祭、そして親父の1年祭を
同時に執り行った。
母親と俺、福岡に住む兄貴も帰ってきて、母親の妹家族4人も訪れ
計7人で式を見守る。

2時間ほどで式は終わり、その後、少し高い料亭みたいな所に行って食事会。
印象的だったのが妹家族の娘2人、俺の従兄弟になるんだが
もう20代半ばになっていた事だ。
小さい頃は家にもよく泊まりにきて遊んだりもしてたが
10代後半から引きこもりニートを始めて以来は挨拶くらいしかしてなく
ここ6,7年に至っては2回くらいしか会った記憶が無い。
なので小さい頃の記憶しかほとんど無いんだよな。

2人とも立派に成長ししっかりした仕事に就いていた。
これから結婚し家庭を持ったりもするだろう。
37歳でこどおじコミュ障バイト、さらにそのバイトも
今年一杯で辞めようとしている未来の展望無しの身としては
唯々存在を消し黙々とご飯を食べるしか無かった。

親父が死んで1年が経とうとしている。

今日は母親と2人で墓仕舞いの儀式を行ってきた。
現代は人との関わりが希薄となり、親戚付き合いなども減ってるらしい。
俺の家もそんな感じで、もう墓参りとか来る人もほとんど居ないから
墓を撤去するんだな。
先祖代々の遺骨は納骨堂に納め、親父の遺骨も一緒に置いて貰う事に。

納骨堂の主の神主さんに来て貰い、お祈りみたいなものを唱えて
今日は終わった。後は骨を移し墓の撤去を業者にお願いして終了だ。
hone
納骨堂にはそんなにいっぱい入らないので、墓の中に入ってある遺骨を
母親と二人で取り出し、木の棒で粉々に砕いて4瓶あった骨を2瓶にまとめた。
名簿石みたいなのが墓の横に置いてあるんだが、遡ると明治時代の先祖の骨も入ってた。
にしては骨がちょっと少ないので子供の骨?も入ってるかもと神主さんは言ってた。
昔は成人まで生きるのも割と難しかったようで、七五三もその名残だとか。
そんな事情もあり、まだスペースがあるので親父の骨まで入れれるようだ。

ちなみに墓は今開拓中の原生林の一角にある。
撤去したら使える面積が増えるなと、不届きなこどおじ37歳子孫は考えていた。

ソファーでゴロゴロしてると何やら
床でモゾモゾ動いている物体を発見した。
何だろう?と近づく。何かの虫?
ari
とりあえず処理してまたゴロゴロしてるとモゾモゾ
えっ?さっき処理したはず・・・。
また処分してゴロゴロしてるとモゾモゾ・・・

何なんだこいつらは!!
不安になりネットで調べたところ、上の画像(拾いもの)と同じ虫。
シロアリのようだった。
よく知らないが、シロアリといえば家を食い荒らす害虫と認識している。
IT~それが見えたら終わりみたいな絶望感が襲った。
まぁ駆除すればいいんだが何十万と掛かるらしいからな。

しかしアボカドにはクロアリ、亡き親父が遺したここ新家にはシロアリとな。
勘弁して欲しいぜほんと

夢の中でパソコンめがけ、放尿する夢を見た。

朝起き、よっこらせとパソコンの前にあるソファーに腰掛けると
あれ?なんか床が濡れてるな・・・ゲッ!!!
なんとパソコン、及び周辺が水浸し。こ、これはまさか・・・。
そう、なんと俺は夢ではなく、実際に夜中起きてパソコンに放尿していたのだ!

なんてこった・・・なんてこったあ!!!
急いでタオルを用意し辺り一面、勿論パソコンも入念に拭き取る。
壊れてないだろうな?仕事がある日は朝は起動しないんだがこの日ばかりは
スタートボタンを押す。
起動は出来、ネットも・・・なんか駄目だ。TOPページは表示されるが
⇖は動くもののクリックやスクロールが出来ない。
ああくそ、仕事の時間が迫っている。

悶々としたまま仕事を終え、再びパソコンの前へ。
駄目だ。再起動したりタスクマネージャーを開いたりと色々試したが
起動はするものの今朝と同じで操作不能状態。
絶望し、うな垂れながら旺然としてると、あっ!動く!!クリックも出来るぞ!!!
2時間ほど経って奇跡の復活。なんとか事なきを得た。

しかし何故、俺の生活の中で最重要とも言えるパソコンに向かって放尿なんかしたんだろうか。
恐らくだが最近の生活状況だろうな。
はんぺんの後、旧家の原生林に行き開拓。
帰るのは午後7時くらいになるのでそっから飯、風呂、を済ませると
午後9時くらいになる。
超元気になりたく、午後10時くらいには寝たいので睡眠導入剤とも言える
酒、25度の焼酎をコーラーで割りながら400mlほどをガブガブ飲んで
気絶するように寝ている。
1時間弱でこの量が問題なのかもしれない。
酷い時は夜中に4回ほどトイレに起きるし、なんかクローゼットをトイレと
勘違いしドアが無い!漏れるとゴソゴソ這いずってた時もあった。
そして今回の失態。心身が乱れているのは間違いない。
こんなんじゃおねしょするほうがまだマシだ。

パソコンだけでは無く今は亡き親父が遺した家の床も、俺の尿でカーペットが染み込み
そこから痛めてしまったようだ。
超元気どころじゃない
床

朝起きて、まどろんだ目で時計を見ると6時40分だった。
出勤時間は朝7時。
職場の冷凍工場まで20分掛かるので目覚めと同時に
1分で着替えを済ませ、外に出てバイクのキーを捻ると
工場へ一目散。

これでも着替えとかあるので時間的には若干遅刻なんだが
俺は全体作業が始まる1時間前の`仕込み作業`をしてるので
急げばなんとか間に合う。
顔はマスクと帽子で隠れてるし、ほぼ人とも話さないので
顔洗い歯磨きをしなくても大丈夫なのが幸いだな。

親父が生きてた頃はほとんど寝坊なんてしなかったんだが
今じゃ2度寝なんて当たり前。
まだ完全には遅刻してないのが不思議なくらいだ。
思えば、あの頃は親父の安否が心配で朝起きれてた部分もあった。
もし布団の中で冷たくなってたら・・・と。

親父は2度と起きないが、俺も起きれなくなってる。

今日は久々に土曜はんぺんがお休みで昼近くまで寝てた。
思えば昨年11月16日に親父が死んで、水曜から忌引きで日曜まで休んだが
それ以降ずっと土曜出勤が続いてた。

が、月曜は午前5時出勤。
時間的プラマイは2,3時間ほどしか変わらない帳尻だな。

昨日は地震で眠れず、かつ朝が早い(午前6時出勤)土曜はんぺんに加え
原生林の開拓と、気付けばハードワークな1日だった。
そのせいか今日は14時間くらいまどろみの中に沈んでいた。

しかし、今後の人生について未だ悩み中だ。
このままでいいのか。そんな思いが常に頭の中にある。
はんぺんバイトと原生林との戯れ。今はそれで1日1日がただ過ぎていく。
TOKYOへの未練も拭えないまま、かといって今の生活からも変われないでいるが
どこかでこの日々に変革を求めてる自分もいる。
今後の行き先を決める羅針盤のようなものが完全にブレてるんだな。

14時間のまどろみの中、夢に少しだけ親父が出てきた。
内容は特に無い。2人で車に乗ってるだけ。
ただ、少しずつ夢から覚めるような感覚になって、これは夢で
起きて目が覚めたらもう存在しないんだなと夢と現実の狭間のような場所で気付いた。
そう思うと涙が止まらなくなり泣きじゃくっていたが
いざ起きると涙は一滴も流れてなかった。


完全にブレブレだな。というより、定まった事なんてこれまで
1度も無かったのかもしれない・・・

2022年1月1日だ。
21年は嘆きと悲しみの1年だったが今年は良い年にしたいな。

今日は夕方、兄貴が電車で帰省するため最寄り駅に
車で迎えに行った。(50日際で一週間前も居たが)
駅で兄貴を拾い、元旦仕様の街をながめながら家路へと戻る。

ガリリッ!!!
兄貴)おいっ!
ふぁ~なんだ?マジかよ・・・自宅の車庫に泊める際
縁石にドアを擦ってしまっていた。

これまで何十回と止めてたのになんでだろ。
親父から譲り受けた車を早くも、新年早々傷つけてしまった。
不吉な22の始まりだぜ。
kizu

昨日処方された精神安定剤をボリボリかじり
膝を抱えながら364日を振り返る。

今年はとにかく、親父で始まり親父で終わったといっても過言では無い。
徐々によわっていたものの、1月2月3月はまだなんとか普通に生活していた。
しかし4月の終わり、帯状疱疹を患ってから速度を上げて弱ってきていた。
5月からは車の運転や食事の仕度、7月に入ると洗濯もできなくなり
8月にはもう食事も通常の3分の1くらいになる。
9月頃からは更に食も細くなるが、癌患者は体内に水が溜まるらしく
マシュマロマンみたいになっていた。
10月の終わり、この頃にはほぼ横に成らざる得ない状態に陥ってた親父だが
ついに緩和ケアに入院するのを決めた。
入院してすぐ、極度の栄養失調だった事が発覚する。
とはいえ何も食べれない。無理して食べたとしても吐いてしまうのだ。
入院して2週間足らず、逝ってしまった。
せめて安らかにと願ったが死の間際は特に苦しそうで
その光景は俺自信が死ぬまで決して忘れないだろう。

2021年を跨げずにこの世を去った親父。
親父が死んだという事実を悲しいと思うと同時に
どこかほっとしたという気持ちもある。
2022年も張り詰めた糸のような精神で過ごしてたらと思うと・・・
そんな風に思う己の呵責がプレスされついに1日前精神病院へ。


2022年がどんな年になるのか分からない。
唯一分かってるのは`親父はもう居ない`ただそれだけだ。

今日は親父の少し早い`50日際`だった。

’10日際`は母親と俺の2人だけだったが、今回は4つ上の兄貴と
母親の妹夫婦も参加。
しかし寒い。ストーブを2つも焚いていたが広めの祭場のせいや
強い寒波に見舞われてるのもあり全然寒い。
ビュ~!ドンドンッ!!神主の唱えも、強風の大音量でかき消され気味で
親父の御霊が未だ彷徨ってるかのようだ。

夜。たまに家族で行ってた焼肉屋へ.
いつもは親父も座っていたがもう居ない。それでも今日はと
皿と垂容器を備え、肉や野菜などをよそう。
こういうのを通称、陰膳と言うらしい。

食べ終わり、外に出ると少し風が収まってたような気がする。
kage

親父が死んで21日が過ぎ去ろうとしている。

去年の6月、俺は3年ほど住んだ東京を離れ故郷へと戻った。
理由は癌になった親父をサポートするためだ。
そして親父が死に役目を終えた今、言いようのない空虚と虚無に見舞われてる。
東京に戻るか?とも考えるがまた住む場所を見つけ仕事を見つけるとなると・・・。
それに今は親父が遺した家もあるし、母親も年老いてきてて
1人置いて行くのも忍びなくなってきた。

しかし空虚。そして虚無。
どうしたものか

親父が死んで2週間が経とうとしている。

未だ親父の死に目が目に浮かんでくるし、心に吹く隙間風も
収まってない。
いずれこんな日が来るのは明白な日々だったが、やはりいざこうなると
行き場の無い想いが全身を行き来している。

引きずっている。

早いもので明日、親父が死んで10日目となる。
俺の家は熱心では無いが`神道`という宗教に属しており
葬式もそれに伴って、お坊さんではなく巫女みたいな衣装を着た
おじいさんが旗を振ったり何か唱えたりして進行した。

今日は母親と2人で、供え物の魚や酒、米野菜等を携え
そのおじいさんの本家に行き再度旗を振ったり唱えたりしてもらった。
30分ほどで終わり、最期に母親がスッと封筒を渡して帰った。

次は40日後に`50日際`というのがあるらしい。

昨日通夜を行い、今日葬式が終わった。
親父の生前からの希望で家族葬という形式を取り
参列者は俺と母親と兄貴、親父の兄家族の4人、母親の妹夫婦2人という
しめやかな式だった。

滞りなく式は進み、午前11時から午後2時半の3時間半で火葬納骨まで終わり
解散した。
この日からおよそ1年5ヶ月。
長かったような短かったような、後悔があるような無いような・・・
そんな言いようのない想いが胸を巡っている。
強いて言えば`あっけない`といった感じか。

昨夜、親父が逝った。

夕方、母親と交代で病室に入ると親父は苦しそうだった。
このところどんどん弱っていくのは目に見えてたが
昨日の夜中頃からは特にうなりを上げて息苦しそうにしていると
母親からLINEは来てた。
その前の日、ふと親父が牛丼を食べたいなあといってたので作って
少量持って行ってた。
もう食べ物はほとんど口にせず、少量の牛乳かお茶を飲んで点滴を打つだけの
状態になっていたので、食べれるか分からないが、持ってきたよと差し出すと
要らないのジェスチャー。一口でもと思ったがやはり無理か・・・。

その後もずっと親父は変わらず苦しそうで、ポケモンGoなどをやって気を紛らす。
午後7時、看護師さんが点滴を変えに病室に来た。ひどく苦しがってるので
何か処置は出来ないですか?とすがると、看護師さんがじっと親父を凝視した後
すぐ母親を呼んで下さい!と返される。
えっ?いま家に風呂に入りに行ってて・・・後少しで戻ってくるとは思うんですけど・・
今すぐ電話して!!

急いで電話を掛けると、母親は風呂から上がり髪を乾かしてた最中で、伝えると
すぐ行くと電話は切れた。
この時点でようやく気付いた。親父の命の灯火が今にも消え掛らんとしているのを。
呼吸の仕方が明らかに違う。目と口が大きく見開き陸に打ち上げられた魚のようだ。
看護師さんに耳は聞こえてるから何か話してあげてと言われ、何を言えば分からないが
手を握りもうすぐ母親が来るから頑張ってくれと言い続けた。

こんな状況が2分か5分か10分か記憶が曖昧だが、最期に5度ほど
大きな呼吸をした後、顎をギューっと下にめり込ませる動作を繰り返して少し経ってから
動きを止めた。看護師さんが脈を測り、母親が到着後ドクターから死亡確認がされた。

今日は親父の足をマッサージした。

もはや身体を起こすことさえ困難になってる親父。
歩行なんて出来なくてトイレに行くこともままならず
オムツを履いてベッドに横たわってる。
それでも少しでも動かした方がいいからと、病院のスタッフさんが
毎日1時間ほどマッサージしてるという。
それを習って俺も少しやった次第だったが、まず膝を上げて戻す。
そしてまた上げて今度は横に・・・ヴッ!ウン臭が・・・。
排泄機能も低下してる親父。日に少しずつ何度も出るが
オムツの交換はやる方もやられる方もひどく疲れるらしく
何回か溜めてから替える方針にしたようだ。

昨日は夜を含め7,8回ほど交換したようで親父も、そして母親もげっそりしていた。
夜でも夜勤の看護師さんなどは居るので、呼んで一緒に替えてもらったが
何度も頼むのは億劫になり途中から1人でやってたと母親はげっそり言ってた。

親父が入院して2週間が過ぎた。
最初こそ母親は親父の病室に泊まって朝、旧家に寄り
婆ちゃんの世話をして仕事に行き、仕事が終わったら再び婆ちゃんの世話。
その後、俺が住む新家に寄って風呂や身支度を済ませ、また夜には親父の元へという
生活を続けていた。

当然ながらこんなサイクル、身が持たない。
今は仕事を休み、婆ちゃんもどこか遠くに飛ばし
付きっきりで親父の元に居る。
親父も病状が進行し身も心も弱り切ってるようで
常に誰か傍らに居て欲しいらしく、母親が風呂などで新家に戻る際は
交代で俺が2時間ほど病室に居座ってる。

親父もだが、俺も母親も弱り切ってる。
これから少しでも治る望みがあるなら未だしも、結末はもう分かってるから
負け戦や消化試合とか、そんな毎日を送ってるかのようだ。

今週は土曜出勤が無いのでお休み。
久々の週休2日だったが、両日ともほぼ寝ぱなっしで終わった。
この所日々の仕事に加え、親父の事や家庭の事。
それらのストレスからか夜な夜な過度な飲酒と夜更かしをしてしまい
アトピーも悪化して気分も体調も絶不調という悪循環が続いている。
溜まってきてるのかもな。色んな毒素が。




今日も兄貴は朝から夕まで親父と病室に居たようだ。
だが昼下がり、親父がいつもTVで観てる情報番組に、兄貴が嫌いな
コメンテーターが出演してたようで
チャンネルを少し変えてくれと親父に言ったところ、嫌なら観るなと
サラッと足蹴にされカチンときてしまったらしい。
兄貴にとって相当嫌いなコメンテーターで、声すら聞きたくないんだよ!と
それから口汚い言い争いに発展してしまったようだ。

アカン・・・滅茶苦茶や・・・もう、滅茶苦茶や

帰省してる兄貴は、朝から夕までずっと親父の病室に居て
夕方頃、俺が車で迎えに行ってる。
その時俺もちょろっと親父の様子を覗いて
帰っている状況だ。

帰りの車内、兄貴が親父は俺と母親、2人に不満を持ってるみたいだ
話始めた。ドキッ!
俺に対しては入院してから2日に1回しか来てない事。
親父とはこれまで1年半近く一緒に過ごしてきた。なので俺が午後から
時間があるのは当然知っている。
また、母親に対しては自分(親父)がこんな状態になってもまだ仕事をフルで続け
それでいて自分(親父)の身の回りの世話も忙しなくこなす様子に
不満というより、もっと申し訳ないような複雑な心境もあるようだ。
親父もできれば母親には仕事を一時的にでも休職して貰い、自分の傍に付いといて
欲しい思いがあるようだが、そう強くは言えず結局の所不満になってるんだな。

母親の事は置いとくとして、やはり`毎日`行くべきか・・・。

カチャ・・チャ・・ズズ・・・。

もはや家に親父は居らず、ソロディナーを嗜んでると
玄関のドアが開いた。母親だった。
部屋に入るなり開口一番、今日見舞い行った!?と聞いてきた。
行ってないと答えると、なんでいかないのぉ~!?なんて
騒ぎ立てやがる。

があぁぁっぁぁあああっぁーーーーーーーーーー

傍らに置いてあるごはんですよをスプーンで豪快にすくい出し
茶碗に数度、思いっきり叩き付けた。
こいつは親父が入院してからというもの、毎日毎日今日病院行った?を
聞いてくる。
俺としては2日に1回行くくらいでいいかなと思ってる。
去年の6月からずっと一緒に過ごしてたんだ。正直親父も俺が行かなくても
恋しくないだろうし、自分自身もちょっと精神的に1人で居たい気持ちだった。
なのにこいつはお父さんが心配じゃ無いの?等グチグチと・・・。

こいつには更に腹が立つ事がある。
今、こんな状況なので兄貴が仕事を休んで帰省してるんだが
俺の事をちっとも役に立たない!手伝ってくれない!!なんて
これまたほざいてたらしい。
ほんの1ヶ月前までは、俺が居てくれて助かるわぁ~とか度々囁いてたのにな。
親父が入院した途端、慌てふためきささくれやがって。


しかし苛つきが頂点に達した。
絶対に許さんぞこのマザーファッカーは。

洗濯した親父の下着を持って行ったんだが
話を聞くとどうも血痰が出だしたようだ。
トイレまで移動するのもきついから、ベッドの近くにオマルも用意されていた。

この病棟の部屋は付添人が自由に泊まれ、寝床のスペースもある。
本当は明日、母親が泊まる予定だったんだが親父から今日泊まってくれとの
申し出があり、急遽母親が泊まりに行った。


なんなんだろうこの1日の`急い`は・・・。

親父が入院してる病棟に行ってきた。
コロナも下火になってきたとはいえ、未だ面会などは時間を限定するなど
規制が続いている。
しかし緩和ケア病棟は、最期の時までそう長くないという事情が考慮されていて
朝8時から夜12時まで面会できるらしい。
ホスピス
部屋は綺麗で`病室`という感じではなくホテルの一室みたいだった。
2ホスピス
壁には大型のTVが備えられており、YOUTUBEやあらゆる動画配信も
完備されている。
ホスピス3
視聴に疲れたら、窓から街の景色を一望しリフレッシュ。
他にもリラクゼーションという、マッサージなども利用でき
気持ちよかったと言っていた。
入院する前はちと不安に思っていたが、良い環境だと安寧し病室を後にした。

親父が入院して1日目。
今まで2人で暮らしていたが今日から1人暮らしが始まった。
庭を含めて総面積100㎡ほどのこじんまりとした家だが
やはり1人だと広く感じ、空間を持て余すな。
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いつも中央の敷きパッドに寝転んで咳き込みながらTVを観てた親父。
ちょっとだけ、うっとうしいなと思う事も無きにしも非ずな時もあったが
居なくなると物悲しい。
家も主を失い、どこか寂しんでるかのような無機質さを漂わせている。

今日、親父が入院した。
緩和ケア病棟という所で、ここは主に末期の癌患者などが
最後の時を穏やかに過ごす場所のようだ。

容態が今より良くなればまた家に帰れるからと、今日1日入院の手引きをしてた
母親は言ってたがおそらく無理だろう。
親父は、自分の体調は一方通行だと言っていた。
今日より明日が良くなる事は無い、入院したらもう自宅へは戻れないと。

末期癌とはおそらくそういう病気で
そして母親も内心はそれを分かってるけど
認めたくないんだろうな。
そうなるといいね、としか言えなかった。

親父の病態がいよいよ悪くなっており、急遽かかりつけの病院に
母親が連れて行く事になった。
明日、別の病院の紹介状を貰い入院の手続きへと入るようだ。

俺はその間、洋服屋へ行き喪服を新調した。
近い内、来たる日にとは思っていたがこんな行為は親父の死を受け入れるようで
今まで頭と身体が拒否していたけど、いよいよその日が来たと覚悟を決めた。

クリ収益も多かったので奮発し、5万円(割引2万)の漆黒のスーツを
涙と共に購入した。
kurisu-tu

母親のピリリが収まらない。

母親の妹が居るんだが、こんな状況なので婆ちゃんの世話を一時でもと
頼んだが断られたようだ。
母親の妹は我が子が幼い時、夫婦共々忙しく働いてて
まだ元気だった婆ちゃんが遠征で泊まりに行き世話をしたりしてた。
それなのに!!さらにことある毎に婆ちゃんに金をせびってる(年金)!!
こっちはずっと世話してるのに!!!
と、全身にピリリとした怒雷が渦巻いている状態だ。
ま、まぁ向こうも事情があるんでしょなんて諫めようなら
なんなのその優柔不断は!!!と雷をこちらに飛ばしてくる。

面倒臭い、もう全てのしがらみが面倒臭い。
この頃に戻りたい

おてがる光の回線工事があったんだがその後、どうにもネットに繋がらなかった。
色々設定やらが悪いのかなと弄ってると下の階に居る親父から叫び声が。
繋がったかあ~?パス教えろって!等・・・イライラしてくる。
しまいには2階に上がってきてモデムを調べ始めた。
馬鹿な!?普段、一日中横になってる親父。もはや今では洗濯物を干すことさえ
できない病態だというのに。

結局、工事日から翌日でないと接続出来ない事が分かり
今は光の通信を堪能している。
しかし、繋がらない焦りや親父からのネットプレッシャーでヘトヘトだ。
俺もだが親父も相当のネット中毒者で困る。
これが祟ったのか、夕食の時ゼーゼーいっててほとんど食べないしもう・・・


母親がピリピリしている。

日々弱っていく親父に何も出来ないもどかしさ。
ボケてますます手が掛かってきてる婆ちゃん。
それに並行して土地問題の話も挙がっているため一杯一杯のようだ。

このままだと埒が明かないので、土地は取りあえず向こうの言い値で売ったら?
そして、いずれは切り出そうと思ってたお金ちょうだい計画を話すと
ハァ!?なんであんたにやらないといけないの
と一蹴された。
ぬかった。おそらく、時とタイミングを見誤った。

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