カテゴリ: 親父

母親と親父の事で話し合った。

母親は今、田舎の旧家で婆ちゃんと2人で暮らしている。
なぜ新家で俺親父、母親婆ちゃんの4人で暮らせないかというと
婆ちゃんが旧家を離れたがらないってのがある。
といっても婆ちゃん1人ではもはや生活もままらないので
母親が一緒に住んでいる。
後、新家は割とコンパクトというか手狭なので、一階には部屋が一つしか無く
親父か婆ちゃん、どちらかは2階の部屋を使用しないといけないが
もはや階段の上り下りはどちらもきついという事情も加わってる。

けど前に書いたように、親父ももういつどうなるか分からない状態だ。
婆ちゃんは一時的にでも施設に預け、3人で新家に住み、最後の時を共に刻もう
というような旨を母親に話した。
母親も色々悩み、今後を決めかねている様子だった。
母親は来年3月で定年退職。時間も出来るのでそれからでもいいんじゃないか
という思いがあるようだ。
それじゃ遅い、今からでも退職して親父のそばに居た方がいいと諭すと
でもずっとTVみてるだけじゃない?そばに居たって・・・。
それに退職金だって定年と早期じゃ・・・


・・・お、おう。
た、確かにはんぺんバイター兼スネカジリの身としても、そこは綺麗事では
済まされない問題ではある。
結局それ以上話は進まず、これまで通り過ごす形となった。

俺は今、末期癌の親父と2人で生活している。
去年の6月からなので、およそ1年3ヶ月の月日が経った。

そんな末期癌の親父。この1年3ヶ月で身体はやはり、徐々に弱り始めている。
最初の頃は毎日車で買い物に行き、ニートだった俺に食事を提供し
家の掃除、洗濯などもこなしてた。
今では出来ることは何も無くなっており、ついには
俺がこの家に居られるのはあと1月もないかもしれん・・・
と、虚ろな目をしてポロッとこぼした。
この言葉が意味するのは2つ。1つは動くのもままならなくなり
末期癌の人が終末期に入るというホスピスにいくこと。
1つは死して灰になるということ。


栗にかまけてる間にもその時は刻一刻と近づいていた。
覚悟はしていたがいよいよという気配が迫ってきてるのを感じる。

一昨日、歯に3本ある銀の詰め物の内、1本を取り除いたが
`金`が気になってる。
残り2本の銀の詰め物を金に変えて金歯になろうというのか!?
というわけじゃなくて近年、市場の金価格が上がってるみたいなんだよな。
GOLD
去年、親父から金貨銀貨を譲り受けてから、株と並行しちょこちょこ推移を見てるが
5年前と比較して約1、5倍、もっと前のチャートをみても
歴史上最も高値を付けてるといってもいいくらいの価格になっている。
まぁちっちゃなコイン一枚なのでそこまで神経質にはなっていないが
このまま所持してg一万を超えたらと考える一方、それを待ってたら
5年前の価格にまで下落してたなんて悲劇も同時に脳裏に浮かぶ。

割と神経質になってるな・・・

親父は月に一度、癌の診療を受けに県立病院に通ってる。
今回も前回と同じく、母親(社員)が忙しいため俺(バイト)が
運転手兼付き添いで病院へ。

診察結果は前回とほぼ変わらないようだった。
只、親父は確実に弱ってきてる上、回復のメドは無い。
そう遠からず来るであろうその日がいざ来たら
自分自身の心境はどうなるんだろうと自問している。
今の親父は、1日中苦しそうに咳をしながらTVを見て
1日を終える日々を過ごしている。
そんな姿を見てると、少しでも長く生きながらえて欲しい反面
早いとこ、もう本当の意味で楽になってもいいんじゃないかという思いも
芽生えてくる。

勿論、親父は当事者なのでその旨心身共に一番苦しんでるのは間違いなく
息子といえども触れられない領域だ。
それは分かってるがこうやって、このままその日を迎えていいのかと
分からない日々が続いている。

朝、今日は親父の呼ぶ声で目覚めた。
時計を見ると6時15分。
いつもは5時30分に起き6時30分に家を出る。

本当にギリギリだった。
しかし、親父が帯状疱疹を患っているので
最近は薬を塗ってから出社するんだがギリギリでそれもできず。

不甲斐ない。
薬も塗ってやれず、ましてや満身創痍の親父に
寝坊しかけのところを起こしてもらう自分が。

親父の調子が悪いが、同じく俺も調子悪い。

俺はアトピーという皮膚病を患っており、もう10年選手を超えている。
今まで病院で処方された薬や、市販のものを投与し続けているが
完治するどころか年々悪化の一途を辿っているのが現状だ。
日々波はあるが、全身が疼いている日は半日のはんぺん作業さえしんどい時もある。

アトピーは精神のストレスでも悪化すると聞く。
この調子の悪さも親父の事が影響しているのだろうか。
思えば親父の癌の報告を受けた去年の1月頃から特に悪化してる気がする。
となると・・・。





帯状疱疹を患ってからというもの、親父は一層弱りきってる。
ほんの一月前は自分の事は勿論、買い出しや家の掃除、料理なども
やってたんだが今では洗濯とゴミ出ししか出来なくなってる。
無論、上記の家事は、親父と2人暮らしの俺にその役目が変わりつつある。

・・・今までやらせ過ぎてたのかもな。

親父が皮膚に異常があると訴えたので
今日は母親が病院に連れて行ったようだ。
診察の結果は帯状疱疹。

様子をみたんだが、右腕の先から肩にかけ
真っ赤に水ぶくれしたように湿疹が拡がっていた。
この帯状疱疹、ウイルス性の皮膚疾患のようで
ストレスや疲労、免疫力低下により発症する模様。

末期癌を患う親父。
ストレスや疲労、免疫力低下はやっぱかなりあるんだろうな。
悪い流れが続いている。
終わりの鐘が響く時は、もうそこまで来てるのかもしれない・・・。

最近、酷かった親父の咳がますます持って酷くなってる気がする。
ゴバァ!ゴボボッ!!と、肺に水が溜まってるせいか
重い濁音が混じった咳になってるし、頻度も前は体感で1時間に10分くらい
だったのが今では30分くらいはしてるような。
それでも、なんとか炊事洗濯や車での買い出しは出来てるが1ヶ月後、2ヶ月後
を考えると・・・。

しかし末期肺癌、そして肺気腫を患った親父と一緒に住むとなると
こうした咳など毎日聞くんだろうなと覚悟はしていたんだが
やはり辛いものがあるな。

今日は親父の月1の診察日だった。
これまで、俺も何回かは付き添っているが
ほとんど母親と一緒に行っている。
今回は母親が仕事で外せない業務が重なったので(社員)
はんぺん工員の俺が久々に付き添うことに(バイト)。

親父はこの所、特に激しい咳をするんだが今回の診察では
水が肺に溜まってるせいとの見解だった。
酷くきつくなければこのままでと、今回も先生との話は5分ほどで終了。
肺の水を抜く方法などは!?と聞こうと思ったんだが
向こうから何も言わないとなると、そんな事はできないんだろうな。


昨日、母親と親父と3人で回転寿司屋に行った(回ってないけど)。

みな、適当にタッチパネルで注文し適当に摘まんでいく。
モグモグ頬張っていた所、ウグゥ・・・ハグゥという呻き声が。
なんだ?と周りを見渡すと隣に居た親父が、顔色を紫に変色させ
苦しそうに口を押さえているではないか。
向かいの席に座っていた母親が慌てて駆け寄りティッシュを差し出す。
俺はその様子を唖然とただ見ているだけだった。

なんとか大事は無く一命?はとりとめて店を後にしたんだが
車内で話を聞くと咳を我慢しようとしてあんな状態になったようだった。
公共の場で激しい咳は憚られる。ましてや今のコロナ情勢。
そういやいつだったか、喉から来る風邪や花粉症の人が咳を我慢して過呼吸みたいな症状になって
問題になってると、コロナ関連のニュースで見たことを思い出した。


もうおそらく、親父との外食は無い

昨日の夜、親父の寝てる寝室からヴヴヴ・・・ハウグゥ!という
呻きのようなものが聞こえてきた。
いつも激しい咳はしているんだが、こういうのは聞いたことない。
ドアを開け、大丈夫?と尋ねると、息苦しいとかじゃなく
どうも足が痛くて呻いていたようだ。

足かい・・・しかし、これももしかしたら癌によるものなのかもしれない。
一時経つと足の痛みも引き眠れたようで、今日はまた普通に過ごしていたが
去年、付き添いで面会した主治医には1年未満の余命と宣告されている。

いつ、その時がきてもおかしくないように覚悟しとかないとと
再認識した。

今日は親父の癌検診の日。
いつもは母親が付き添うんだが、どうしても都合が悪いという事で
俺が付き添った。
別に親父はいまのとこ自分で車の運転も出来るし
病院にも1人で行けるけど、病状が病状だけになるだけ家族同伴で
来るように言われてるようだ。

レントゲンなどの診査を一通り受けた後、主治医と面会。
ここは俺も一緒に同伴して話を聞く。
親父が日々の具合を主治医に話し、それを聞きながら主治医も
レントゲンの写真などを見て今の親父の病状を話す。
そして最後

年単位か月単位かで話すと、月単位です

という、重いフレーズが放たれ
2人、うんしょとそのフレーズを背負いながら病院を後にした。

婆ちゃんが腰の骨を折り入院してるので
母親も今は、俺と親父が住んでる新家で共に寝食してるが
親父は病気、婆ちゃんも高齢負傷者ということで
今後は全員で新家に住もうかという流れになっている。
(今までは母親と婆ちゃんは旧家住まい)

そんなわけで今日は親父と旧家に残ってる色々な物を
片付けに行ってきた。
使ってない家具をばらしたりするのかな?と思っていたが
家に着くなり、俺の部屋にある漫画本を全部縛って捨てろと
言ってきた。ええぇ・・・全部捨てろ?まぁ確かに今は読んではないけど
いつか読みたくなるかもだしこれは置いといていいじゃんとごねると

捨てろいひゃいああライッ!!!お前はニートのクセしていひゃいああライライッ!!!

と狂ったように叫びだした。
しぶしぶ紐で縛るも、なんか親父ってすぐ物を捨てる癖があるんだよなぁ。
自分のだけならいいが人の物も。
不要な物を溜め込むのは確かによくないが
断捨離も過ぎたれば及ばざるごとしだ。
というか、親父が病気になったから慌ててこっちに戻ってきたものの
考えたら職も失なわず、彼女とも関係を続けれるような選択肢も取れたんだ。
世界樹の木のような存在だと思っていたが・・・はぁ
plant24

昨日、6時間の行脚を経て長崎入りし通夜へ出席。
そして今日、葬式火葬食事会を夕方頃終えて午後10時過ぎ
自宅へと帰還。
長時間の運転や、何時間じっと聞いてたか分からないお経に
身体はヘトヘトだ。
だが、心の方はもっとヘトヘトだった。

その原因はおじちゃんだ。詳しく書くと親父の兄貴だ。
俺自身はもう4年近く会ってなかったが
親父の癌が発覚してからというもの、やれ俺に早く結婚させろだの
実家に帰ってからはニートなどもあり、息の掛かった会社まで
紹介してやるなどと両親に言ってきてたらしい。
そんな話を、両親からちょろっと聞かされてはいたんだが
いざ会うともう・・・軽く犯された気分に陥った。

おじちゃんは親父と2人兄弟。
今回母親(95歳)が亡くなり、親父(弟)までピンチという事情があり
少々参ってるようだった。生まれたときから一緒に過ごしてきた
肉親が居なくなり、ひとりぼっちになると。
そんな肉親(親父)に少しでも良いニュースを届けて力になりたい
画策がおじちゃんにはあるようだった。
といっても、おじちゃんは未だ働いており会社のかなり重鎮らしく
子供達2人(俺の従兄弟)もそれぞれ美人な奥さんと結婚して
孫が何人もいるような人だ。それでぼっちって・・・。


う~ん、なんとなく分かる気もするけど
四十九日行きたくねぇ・・・

今朝、長崎に入院している父方の祖母が逝ったという
連絡があった。
逝く前の、生前の姿をせめて一目でも見ておきたかったであろう
親父は苦い顔をしながら兄弟と電話で話してた。

俺は明日、午前中に1050万への道を聞きに市役所へ。
親父と母親も病院へ定期診察に行き、午後からは連れ立って
通夜がある長崎県に向かう予定だ。
結構なハードスケジュールになりそうだがこなすしかない。
watermark

昨日急遽長崎行きとなったが、これまた急遽今朝になり
無しになった。
父親の母親(婆ちゃん)は現在、長崎県の病院に入院しているが
コロナの影響で、県外から来た人の面会は未だ
完全にシャットアウトしてるらしいと、今朝判明したのだ。

う~ん、またも出番無しとなった。
海外では未だ猛威を振るってるし、国内でも感染は収まっていない。
医療機関で発生した場合、特に深刻な状況になるというのも分かる。
でも長崎と宮崎。どっちもこのところの感染者は10日に1人出てるか
どうかといった具合だ。
ホリエモンじゃないが、いくらコロナといってもあんまり厳しすぎやしないか?


GoToキャンペーンとかであちこち人が往き来して
やれ飯だ観光だ旅館だの緩めてるくせして病院の門だけは固く閉ざし
肉親の最後の時も看取れないとはこれ如何に。

俺の母親の母親(婆ちゃん)は現在、腰を骨折し入院している。
一方、父親の母親(婆ちゃん)はというと、同じく入院している。

昨夜、その父親の母親(婆ちゃん)の具合がいよいよ悪くなってるとの
連絡が入り急遽明日、入院している長崎へ向かう事になった。


物心ついてからというもの、友達も知人も居ない人生を送ってきた俺。
故に葬式など出席する機会も無く、喪服なども一着も持っていないが
見渡せば死神漂う今の状況を鑑みると
そろそろ仕立てた方がいいのかもしれないな。

俺の家族は今、新家に俺と親父
旧家に母親と婆ちゃんといった感じで2組に分かれて
住んでいる。

今日、腰を強打した婆ちゃんを病院に連れて行く予定だったが
予約が必要との事で明日になった。
母親は朝早くから仕事があるので、婆ちゃんの世話をするべく
俺と親父2人で旧家へ。
旧家へ着くと婆ちゃんが寝ていた。
どうやら思ったより重症らしく、起き上がるのも困難なようだ。
朝食も1人では食べれないようで、親父が少しずつスプーンで
食べさせてた。
まったく、親父だって末期癌だというのに何土手から落ちて
世話させてんだよ、と心の中で毒づく。

その後、一旦新家に戻り、午後再び俺1人で訪ねる。
どうやらトイレに行きたかったようで、立つのに手を貸してくれ
とせがまれる。
痛!あたたた・・・トイレの蓋も開けとくれ。
部屋には持ち運び出来る簡易便器がある。
婆ちゃんに促され、その蓋をパカッと開けると・・・く、くさいっ!!!
オエェェェェ中身入ってるじゃん・・・。
こんな非日常、味わった事が無い!


明日もやるのか・・・。
もしかすると明後日も・・・

今日もエア出勤・・・が辛くなってきたので
五行運送を辞めたのを親父に告げた。
そうか・・・まあなるべく早く次のとこ探せよと
いい、それ以上は何も言われなかった。

不甲斐なく、そして有り難いと思いながら
2度寝やゲーム、アニメを堪能し1日を終えた。


親父と二人、いつものように夕食を食べてると
何やら部屋の奥に行き、戻るとスッと渡してきた。
IMG_20200831_211125
見ると銀貨や金貨、50円玉で全て俺にくれるという。
なんでもその昔、親父は七つの海を股に掛ける海賊で
これはその時の戦利品のようだった。

というのは冗談で父親(俺の祖父)から受け継いだ物らしい。
ありがたく頂戴したが、これも終活の一環なのかなと
ちと物悲しくなった。

親父が、昨日から熱が出てたので病院に連れて行った。
今はコロナのせいで37.5度以上の熱があると
病院には入れないらしいが、額にレーザー銃を撃ち込まれる
検温では運良く下回っていたようだ。

1時間ほどで診察を終え、抗生物質を受け取り
帰ってきた。
親父はすでに2つの肺疾患を持っている。
コロナだったらTHE・ENDだった、くわばらくわばらと
危機して自宅に戻った。

親父が弱っている。

週末はいつも、旧家に住んでる母親が泊まりに来るんだが
ここ最近は夕食の際など、毎週のように母親に弱音をこぼしまくってる。
普段、俺と二人でたべてる時はそんな事言わないんだけど
やはり長年連れ添った間柄、心の本音をつい吐いてしまうんだろうな。

メシマズではあるが致し方ないとも思っている。
メンタル的には溜め込むよりその方がいいだろうし
それには母親の存在が必要なんだが、今は週末しか来れない事情がある。
どうしたもんか。




カチャカチャ・・・。
今日も親父と2人、静かに夕飯を食してると

お前、仕事どうした?27日からじゃなかったのか?

と聞いてきた。とうとう来たか。
いや~、ちょっと合わなくてハハ。
冷静に取り繕い、親父もそうか・・・とまた
静かに夕食へと戻った。
しかし、チラリと覗うその面持ちは、どこか暗く
重い表情だった。


早めたかもしれないな。
死期を。

今日、唐突に親父から厚みのある封筒を受け取った。
中をみてみると
IMG_20200726_211226
100万が入ってた。
身体の事もあり、今後いつどうなるか分からないので
ボチボチ身辺整理を行っているらしく
保有株なども売却してるようだ。
これが俗に言う、終活というものかもしれないな。

好きに使ってくれと言われたがどうするか・・・。
免許取ってバイクでも買おうかな。

少し前、親父とイオンに行っていた。

俺は今、イオンモバイルというスマホを使っている。
5年ほど前に契約したんだが諸事情があり名義は親父だ。
月々の支払いも当然親父の口座からで、この5年間甘い汁をちゅーちゅー
吸ってたものの、親父もいつどうなるか分からない身なので
今の内に名義変更をとなったわけだ。

イオンモバイルを契約するにはイオンカードが要る。
現在無職ニートなので、クレジット機能も付いてる
イオンカードの審査が通るか、ちと心配だったが無事GET出来た。
IMG_20200723_205813 (1)
俺もついにクレカ使いか・・・。
しかし5年前とは色々変わってしまった。
良くも悪くも。

ここ一週間降り続いている令和2年7月豪雨のせいで
長崎行きが延期となった。
宮崎から長崎へ向かうには今回、特に被害の激しい熊本を通るため
道路状況など問題があるからな。
コロナに加えこの天候。更に今現在の打開策を見いだせない
閉鎖的日常が重なって心身共にささくれ立ってる。
近づく物は全て傷つける、尖ったナイフのように。

何も無い。
夢も(株駄目)希望も(親父ピンチ)愛も(彼女ブロック)冨も(無職ニート)
今の俺にはなにも無い

親父の癌に続き、親父の母親まで倒れて集中治療室に入った
との一報が届いた。
親父の母親、つまり俺の婆ちゃんなんだが長崎に住んでいる。
今すぐ命の危険が迫ってるというわけではなく
またコロナ情勢故、行っても会えないみたいなんだが
親父は自分もいつまで持つか分からない事もあり
少しでも状況が知りたいようで、来週の週末
長崎に出向く際の車の運転を要請された。

6月始めに東京から田舎に帰り早一月が過ぎようとしている。
今の生活、草刈りなどちょこちょこやってはいるが基本
毎日深夜3時頃に寝て昼食の12時前後に親父に起こされる。
そして親父が用意してくれた飯を寝ぼけ眼で食べ、再び一眠り。
目覚めて1~2時間後に夕食。これも親父が用意する。
その後、ゲームやNetflixに没頭し深夜3時就寝。

この一月、ほぼこんな毎日だ。
俺は一体なんのために東京を離れたんだ?
末期癌に冒されてる親父の負担を少しでも軽くするためじゃ
無かったのか?
これじゃまるで昔のゴミクズニートと同じ。
そんな卑屈さと同時に、最高だなとこの時を甘んじる
自分がせめぎ合ってる。

今現在、1年程前に親が購入した中古住宅に親父と2人で住んでいる。
俺の家族は他にも母親と婆ちゃんがいるんだが
婆ちゃんが旧家を離れたくないということで
1人にはしておけず、今は母親も旧家に住んでる。

そんなわけで、親父1人でこの中古住宅に移り住んでたのだが
6月から俺が加わり今は2人暮らしという流れだ。


親父は重い肺癌を患っているがいまのところ
日常生活に支障は無い。
洗濯掃除をこなし、食料の買い出しや料理も
作ってくれる。
おかげで幸か不幸か、立派なウンコ製造機と化している。

↑このページのトップヘ